NO MORE TRAGEDY

小山田亮はNYで語学留学中にニューヨーク市警のパトカーに撥ねられて、24歳の若さで命を落としました。遺族は亮の死に関する真実を明らかにするために、ニューヨーク市警とパトカーの運転手を相手に訴訟を起こしています。このブログでは亮の事故に関係する記事を投稿しています。ウェブサイトもご覧ください。http://oyamada.weebly.com/

アメリカにおける警察と市民の溝

警官の行き過ぎた行為により一般市民に被害が及んだ時、正当に調査されなかったり、平等に裁かれなかったり、その事実が秘められたりする事は、仕方のないことなのでしょうか。不平等と感じても、法執行の為に市民はこれを受け入れるべきなのでしょうか。

 

先月NYでは、警察により逮捕中に首を絞められ亡くなった、エリック・ガーナ―さんの記事が多く書かれました。

ガーナ―さんは、違法タバコを販売していたことにより逮捕された、と警察側は説明していますが、その事件の真相はまだ明らかにされていません。 
NY市警の警官が、ガーナ―さんの首を絞め死に追いやった事実は、その模様を撮影した住民が映像提供したことによって明らかになりました。
首を絞める行為は警察のガイドラインの中で禁止されている行為です。 
 
先日出された記事では、警察に首を絞められた人による申立ては、2009年から1128件も議会に寄せられていたという事が明らかになっています。
そして議会が警察に対し、警官への懲戒や懲罰を薦めても、それは頻繁に断られてきたという事でした。
そしてガーナ―さんの死は起きました。
 
この記事の中で、NYCLU (NY自由人権協会)の法律担当のクリストファー・ダン氏は、警察の違法行為への調査の必要性と、将来の再発防止の為にも適切な懲戒や懲罰の重要性を訴えています。
和解で解決しようとする市のやり方は、それらの事件を調査せずに箱の中にしまってしまうだけだ、とその危機感を露わにしています。 
 
また最近、2012年に警察車両に衝突されたことにより死亡した、27歳のタモン・ロビンソンさんの事件が、事故発生から2年で和解終結したとの記事がでました。http://gothamist.com/2014/08/08/city_to_pay_2_million_to_man_fatall.php
 
____一部記事抜粋 ____ 
NY市は、警察車両に衝突されたことにより死亡したブルックリンに住む男性の家族に対し、200万ドルを支払う事になった。伝えられるところによると、彼は事故当時、道路の敷石を盗んでいたとされている。
警官は2012年4月、ロビンソンさんが住んでいたCanarsieのベイビューハウス(アパート)の地面からレンガを盗んだとして、27歳のタモンロビンソンさんを追跡した。
これに対し、ロビンソンさん家族は、ロビンソンさんが敷石を運ぶ許可を得ていたとして意義を申し立てた。また、警官がロビンソンさんに近づいた時、彼は近くのアパートに駆け込もうとしていたにも関わらず、警察車両は彼を撥ねたという事だ。
 
彼は肩と頭に重傷を受け、昏睡状態に陥ったが、数日後に亡くなった。
事故報告書の中で、警察はロビンソンさんがアパートの中へ入り込んだ時、車両を停止していたとしているが、目撃者は異なる証言をしていた。
_____________
 
 
 ロビンソンさんの家族側弁護士スコット・リネツキ氏は、「ロビンソンさんの家族はこの和解終結を求めてはいない。家族にとって大切な事は和解よりも警官達に刑事上の責任を示すことであった」と述べています。
  
 
日本でも連日報道されていますが、アメリカ・ミズーリ州で、警察による銃撃で命を奪われた若者の事件がありました。
その被害者も何も武器を持たない若者でした。
 
この事件を発端に、現地で暴動が起こり、オバマ大統領や司法省のエリックホルダー氏によるコメントが出され、独立した解剖が行われることが発表されました。 
 
オバマ大統領のこの発言の中には、「アメリカ中の多くの地域では、法執行官(日本では司法のもと義務を遂行する警察職員の意)と地域住民の溝が存在する」という言葉、そして「平和的に権利を守る人々を阻む、いかなる行き過ぎた権力や行動に弁解の余地はない」という厳しい言葉がありました。
また、多くの有色人種の若者がターゲットになった事件について心を痛めていることが書かれていました。
 
 
今年はアメリカの公民権法が成立してから50年になる年です。
なぜ未だに人種差別が根底にあるのか、このような事件を防ぐことのできない実態の背景に何があるのか、どうして同様の申立てや事件、市民の怒りが無くならないのか、疑問です。家族が和解を求めていなくとも、終結せざるを得ない状況は何故なのでしょうか。 
 
 
多くの人員を抱える警察組織の中には、行き過ぎた権力を行使し市民を危険にさらす警官もいます。そのような警官の行動により市民に危害が加えられた場合、その事件は公平に調べられ、警官に非のある場合には、責任が問われるべきではないでしょうか。それを行わないままでは、警察により誤って引き起こされる死亡事故や事件は無くならないのではないかと思います。
 
 
 
警察への過剰ともいえる保護、これを多くの市民が “不平等である” と感じている限り、オバマ大統領の言う“市民と法執行官の溝”も埋まらないのではないか、そう感じられてなりません。
 

f:id:help_oyamada:20140821143223j:plain

 Photo by Ryo