NO MORE TRAGEDY

小山田亮はNYで語学留学中にニューヨーク市警のパトカーに撥ねられて、24歳の若さで命を落としました。遺族は亮の死に関する真実を明らかにするために、ニューヨーク市警とパトカーの運転手を相手に訴訟を起こしています。このブログでは亮の事故に関係する記事を投稿しています。ウェブサイトもご覧ください。http://oyamada.weebly.com/

改善なく容認され続ける警察のあり方②

前回の投稿では、警察により起こされる死亡事故の実例を詳しく書きました。

それでは、どうして多くの抗議活動が起こっているにも関わらず、警察が起こす死亡事故は容認され続けているのでしょうか。

 

まず一つには、2001年に起きた9•11以降、強い警察が求められ、警察の業務を重要視する傾向が強まったとこが挙げられます。

前回もお伝えしたDaily Newsの記事で、警察官慈善団体の代表であるリンチ氏が「路上で誰かが生きるか死ぬかの事件が起きた場合、警察は、一般市民が巻き込まれないように、一歩踏み出した行動をすることがあり、実際にこの行動で今までに何万人という人命が守られている」と話しています。

また、リンチ氏は「過去15年間で(9.11の後遺症で亡くなった警官を含め)80名の警官が殉職しているというのも事実である」ということも指摘しています。

 

しかし、市民への監視やストップ&フリスクなどにおける警察権力の過度な行使が度々問題視されてきてもいます。(ストップ&フリスクに関する記事はこちら)2013年8月にはストップ&フリスクは違憲であるとして、連邦裁判所は業務の是正を命じましたが、今も変化が見られないようです。

 

次の要因には、起訴する側である検察と、起訴される側である警察の関係が挙げられます。前回お伝えした、警察が捜査していた事件の容疑者と間違えられ、変装した警官に理由を告げられることなく撃たれて死亡したオスマン・ゾンゴさんの事件では、完全に警察に非があったにも関わらず、警察に懲役が言い渡されることはありませんでした。

 

刑務所改造計画プロジェクトを取り仕切るロベルト・ギャンギ氏は、警察を起訴する側である検察と警察の関係について以下のように指摘しています。


「警察の事件を起訴するのは地区検察の仕事であるが、両者の業務というのは大変密なもので、警察と検察は互いを必要としあう関係だ。そこには利害関係がある。」

たとえば、亮君の事故では、市警の事故調査部(交通事故調査を行う部門)と内部調査部(警察内で起きた事件を調査する部門)の2つの部署が調査を行いました。クイーンズの地区検察は過失致死罪の可能性で動いていましたが、結局は起訴を行いませんでした。そのためご家族は、民事裁判を通し証拠の請求を続けています。

 

地区検察と警察が親密に業務を行っており、検察が警察を客観的に捜査できないため、地区と州の議員は現在、警察による致死事件の全件に対し調査を行える特別検察の設置を呼びかけている」とのいうのが、現在の状況のようです。

 

しかし、全ての警官がこの状況に安心し、必要以上に暴力を行使しているのかと言えば、もちろんそうではありません。

前述の記事には、自分の指示で精神疾患を持つ一般市民を射殺するに至り、その事件の8日後に自殺した警官についても書かれていました。その警官は自殺する当日、同僚に「今日自分は誰かを撃ち、殺し、そして仕事も年金も失って、明日は新聞の紙面を飾るだろう。」と話していたそうです。

人を殺すという行為は、殺される人だけでなく、殺す人の人生も変えるのです。人を殺めてしまった警官の中には、一生自分のしたことに悩まされ、後悔し、時には精神を蝕まれてしまうこともあるようです。

 

また、警察が市民の敵となっている状況に疑問を持ち、警察組織の内部から改善を求め裁判を起こしている警官達もいます。(A Black Police Officer's Fight Against the N.Y.P.D )


この訴訟の訴えている事からは、警官に対し逮捕(又は召喚)の件数を上げるよう上司から圧力がかけられる実態がある事が分かります。訴訟の原告は、警察組織の業務が、ノルマを禁止する法と、人種差別を禁じる合衆国憲法修正14条に違反している、と訴えています。
組織内にも、課せられる業務に疑問を感じ、改善された方が良いと感じつつも、自分の生活を守る為に、葛藤を抱えながら業務をしている警官がいる事もまた事実です。(この訴訟について語っている警官は黒人で、とても貧しい家に生まれたそうです。マイノリティー人種の警官は、警察のユニフォームを着ているときは警官として市民に嫌われ、ユニフォームを脱げばマイノリティーとして差別される、というとても複雑な心境だということが窺えます。)


Black Lives Matter運動(黒人の人達の命も白人同様に尊重しようという運動)も継続して行われており、ニューヨーク市庁舎周辺では今月の初めから市警コミッショナーの解任や警察の業務改善などを求め、座り込みの活動が続いています。

New York City protesters demand police commissioner Bill Bratton be fired | US news | The Guardian 

(*先週警察長官であるブラトン氏の辞任の意向が報道されました。理由は座り込みの抗議とは無関係であるとされています。)

座り込みに参加していた人はこう話していました。(原文
「人の命を奪うような権力を行使する事に、状況の改善があるとは思えない。その資金が警察や刑務所にではなく、住宅や仕事の問題などに使われるべき。」 
「不正で人種差別的な警察組織に55億ドルを投入するより、コミュニティにその資金を投入するべき。」
「警官が(人を殺めている)責任を負わされていない。だから私はここに来ている。」

 

「システムだから仕方無い」と言う人もいる中、警察の内部、市や州の議員、メディア、個人や団体の裁判、様々な所から警察組織に対し情報公開や業務改善を求め、法を公平に機能させようとあらゆる方向から活動が続いている事がわかります。

 

警官の業務の質が問題となり、コミュニティと警察の間に亀裂が深まっており、それは生産性の無いもののように思われます。
指示に従いつつ罪悪感を感じる人も、その被害に遭う人も、どちらもこのシステムの被害者であるのではないでしょうか。

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 次回の投稿では、小山田亮君の家族が向き合っているこの警察の現状との闘いについて書きたいと思います。