NO MORE TRAGEDY

小山田亮はNYで語学留学中にニューヨーク市警のパトカーに撥ねられて、24歳の若さで命を落としました。遺族は亮の死に関する真実を明らかにするために、ニューヨーク市警とパトカーの運転手を相手に訴訟を起こしています。このブログでは亮の事故に関係する記事を投稿しています。ウェブサイトもご覧ください。http://oyamada.weebly.com/

亮君の誕生日

125日、その日は小山田亮君の25歳になるはずの日でした。

去年の同じ日、誰が亮君が25歳にならずに亡くなってしまうなんて想像したことでしょう。亮君は25歳の誕生日を日本に帰って家族や友だちと過ごすはずでした。

 

亮君の家族はこの週、弁護士との会議の為、NYを訪れていました。亮君の誕生日となるはずだったこの日、家族は亮君がNYで出会った友人らと共に事故現場に向かい、キャンドルを灯し、亮君の誕生日を祝いました。

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2時間ほどの滞在時間の間に、たくさんの人が通りがかりに温かな声をかけてくださったそうです。

 

その日の夜は亮君の友人が家族の滞在先を訪れ、誕生日のお祝いにとサプライズの鍋パーティーをしてくれたそうです。それは亮君が、去年の冬、鍋を食べたいとFBで話していた事、NYでは安くない日本製の土鍋を買おうかと迷っていた事を知っていた友人達からの贈り物でした。心から想ってくれる友人に出会えたこと、亮君は本当に幸せ者です。そしてまた、わずか3カ月のNYの滞在期間の中で、そのような関係が築けることは亮君の人徳でもあると私は思いました。写真は亮君の友人が、亮君の25歳の誕生日プレゼントとして家族に贈ってくれたものです。

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”Ryo, You Will Always Be Remembered.”と刻まれています。

 

私はこの日、家族の失ったものの大きさを改めて痛感せずにはいられませんでした。亮君のお母さんは25年前のこの日、お腹を痛め、亮君を産みました。そして、亮君は末っ子として家族に愛され、共に成長してきたのです。こんなに突然、命が奪われてしまったこと、その上、真実が隠されたままである事、それは本当に不公平です。亮君はこれからやりたいことが山ほどあったはずです。

 

せめて家族が亮君の死の真相を早く知ることができる日が来ることを祈っています。