NO MORE TRAGEDY

小山田亮はNYで語学留学中にニューヨーク市警のパトカーに撥ねられて、24歳の若さで命を落としました。遺族は亮の死に関する真実を明らかにするために、ニューヨーク市警とパトカーの運転手を相手に訴訟を起こしています。このブログでは亮の事故に関係する記事を投稿しています。ウェブサイトもご覧ください。http://oyamada.weebly.com/

メディアで発表された事故の概要・まとめ

 

 このサイトを訪れてくださってありがとうございます。このサイトを立ち上げるにあたり、この事故に関しての記事をできる限り読みました。この一番初めの記事では、メディアで発表されている事故の様子をまとめてお伝えしたいと思います。  f:id:help_oyamada:20130226125432j:plain

           (小山田亮さん)                                                                                以下、ニューヨーク市警による事故レポートの和訳です。

 

 「事故が起きたのは2013年2月21日、午前0時45分。車両1(ニューヨーク市警の車両)はナイフでの暴行が起きているとの通報に対応するため、赤色灯をつけ、40th Avenueを東に向かって走行していた。歩行者が車両1の進路に向かって歩いてきたとき、その男は10th Streetからおよそ60フィート(約18メートル)東の地点で、40th Avenueを南から北に向かって渡ろうとしていた。車両1はその歩行者を撥ね、死亡させた。現時点では被害者の名前はオヤマダリョウだと思われる。」

 

  

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                   (写真:New York Daily Newsより引用)

 

また、以下はメディアで発表された事故の詳細です。(Times Ledger, New York Post, ABC7, New York Times)

 ―事故後、すぐに緊急医療隊(EMS)が到着したが、その場で死亡が確認された。事故の衝撃で、パトカーのフロントガラスにはひびが入ったが、乗っていた警官に大きな怪我はなかった。しかし、精神的なショックが大きかった(トラウマの手当てをする)ため、クイーンズのニューヨーク病院に搬送された。ナイフを持って暴力を振るっているという通報現場には、別のセクション担当の警官が最終的に駆けつけたが、ナイフでの暴力が起きているというのは確認できなかったので、その警官たちは「通報は確認できないものだった」と結論付けた。

 

 

 この警察がレポートやメディアを通して言っていることが全て正しいのなら、不幸が重なった結果の交通事故であったにすぎないかもしれません。ただ、目撃者の証言は警察の発表と矛盾するところがいくつもあります。

 

 目撃者の一人、Chuck Johnsonさんは亮君が「轢かれる直前にデリから(北から南)出てきたのを目撃した」として、「35秒後から40秒後に再び振り返った時には、亮君は道の上で亡くなっていた」と話しています。また「警察車両は時速70マイルで走行していた。さらに、このパトカーは他の少なくとも2台のパトカーが来るまでは、サイレンを鳴らしていなかった。そして赤色灯も点けていなかった。」と、当時のパトカーの行動について振り返っています。また別の女性も、「サイレンは鳴らさずに、猛スピードで走ってきた。サイレンを聞けば彼は道路を渡らなかったわ。」と話しています。さらにある女性の目撃者(おそらく同じ女性であろう)は「男性は車両を避けるひまがなかったわ。車両はスピードを出しすぎていたから。」と、Chuck Johnsonさん同様、パトカーがかなりのスピードを出していたことを証言しています。また、事故現場の前に住む住民は、「赤色灯が点いていれば、必ず部屋に反射し気づくはずだ」と言っています。

  

 さらに、亮君が轢かれたときの様子を証言している人は、「(亮君は)パトカーに撥ねられ空中に飛び、地面に落ちた。パトカーは止まり切れずにそのまま走り続け、Uターンしてきた。」と話しています。また、「彼の頭は割れ、足はひん曲がっていた。みんなもう助からないと言っていた。でも彼はまだ息をしていた。深呼吸をして、生きようとしていた。警察は救助行為を一切せず、その場にいた周りの皆を歩道に下げた。彼を道に寝かせたまま放置した。」と別の女性は話しています。この「警察が周りの皆を歩道に下げた」というのは、事故直後にYouTubeに上がっていた「目撃者と警察のやり取りを写していたビデオ(Pix 11 News)」でも確認できました。

 

 このようなメディアで放映された目撃証言を受けてか、警察のスポークスマンは「(監視カメラを確認したところ)赤色灯はついていたが、(カメラでは音は録音されていないため)サイレンは鳴らしていたかどうかわからない。」とメディアに返答しています。また「事故当時、被害者はフードをかぶって、ヘッドフォンで音楽を聞いていた」として、事件の責任は亮君にあったという見解を示しています。

 

 しかし、フジテレビで放映された近隣住民への説明会では、警察は「サイレンが鳴るということは、赤色灯もついていたということだ」と言っているようです。(このビデオはオンライン上では削除されていますが、そのビデオをキャプチャーした写真が残っていました。)

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 また遺族に対しての説明では「車両は時速35-39マイルで走行していた」「通報現場の近辺に到着した際は、サイレンと赤色灯を消すように指導もしている」と話したといいます。

 

 このように、警察の発表と目撃者の証言、警察の遺族への説明とメディアへの説明には多くの相違点が見られます。亮君が歩いてきた方向までが異なっています。(地図参照)しかしながら、今後、争点のひとつになるのは「赤色灯・サイレンの使用があったかどうか」ということでしょう。また、「適切なスピードで走行していたか」「事故を起こした後の警察の対応は適切だったか」なども検証される必要があります。

 

 また目撃者証言にも少し矛盾があるものもありました。ある目撃者の証言で「停止サインで止まらずに走行してきた」というものがあったのですが、40th Avenueと10th Streetの交差点には停止サインはありません。警察の発表と目撃証言との相違点を埋める為にも、警察自らの証言を断定的なものにするためにも、証拠として監視カメラの映像・記録公開が求められます。しかし警察はそれらを公開することを拒んでいるのです。一日も早く警察が情報公開をすることを望みます。

 

                                (文責:AM)

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               R.I.P. Ryo Oyamada........

 

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