NO MORE TRAGEDY

小山田亮はNYで語学留学中にニューヨーク市警のパトカーに撥ねられて、24歳の若さで命を落としました。遺族は亮の死に関する真実を明らかにするために、ニューヨーク市警とパトカーの運転手を相手に訴訟を起こしています。このブログでは亮の事故に関係する記事を投稿しています。ウェブサイトもご覧ください。http://oyamada.weebly.com/

2年目の追悼式

2015年2月21日午後6時、小山田亮君の二回目の追悼式が行われました。

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雪が降り積もる中での追悼式となりましたが、報道の方も合わせると50人近くの方々が来てくださり、亮君を偲びました。日本からの亮君の友だち、近隣住民の方、同じくご家族を交通事故で亡くされたFamilies For Safe Streetの方々、また、事故についてニュースで知ったNY在住の日本人の方々。本当にたくさんの方にお集まりいただきました。 

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 日本の亮君の友人がこの日のために作ったキャンドル、約40個に火が灯され、式を優しい光で彩りました。

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 追悼式では、亮君のご両親から挨拶がありました。

ご両親の挨拶の内容をご紹介します。

お父さん、小山田司さんからの挨拶 (一部省略)

2年前の今日、亮はこの場所で、NY市警のパトカーに轢かれ、24歳で帰らぬ人となりました。

我々は、現在は弁護士のスティーブ・ヴァカロ氏と共に裁判を戦っておりますが、NY市警による捏造や隠蔽に妨げられ、残念ながら大きな進展は未だ得られておりません。

警察は市民を守るために働くべきなのに、逆に警察が市民を殺してしまうケースが最近よく発生しています。そんな時、警察は自分たちは悪くないと主張し、言葉を失った被害者に罪を着せようとします。このような醜態は決して許せるものではありません。

我々の裁判は長期の戦いになると予想されます。皆さまには今後とも裁判の成り行きを見守り続けてくださるよう、心よりお願いいたします。

 

お母さん、小山田千枝さんからの挨拶(一部省略)

亮はたった3ヶ月でしたが、NYで一日一日を大切に生きていました。家族に送られてきたメールや手紙からは、充実した生活の様子が伝わってきました。そして必ず家族への感謝の言葉が添えられていました。

どうして亮は死ななければならなかったのか?

2年たってもその答えはわかりません。

突然の死をもっとも受け入れられずにいるのは、亮自身でしょう。

その無念を思う時、私たち家族にできることは、事故の真相を明らかにすることだと考えます。

亮の大好きだったNY、たった3ヶ月でしたが彼を暖かく受け入れてくれたNY、そのNYから、かけがいのない家族を失う悲しみを無くしたい。

亮もきっと私たちと共に戦っているのだと感じています。

 

 その後、NYで友人となったステファン・ジョンソンさんから亮君に歌が送られました。「Moon on the water」という亮君が好きだった曲です。

ステファンさんは「亮君とは短い期間しか一緒に過ごせなかったけれど、自分にとっては兄弟のような存在だった」と話します。 

 

そして、式の最後には担当弁護士のスティーブ・ヴァカロ氏から、この事故に対する警察の卑怯な対応への力強い批判がありました。

警察が、住宅地を猛スピードで駆け抜ける無謀運転していたこと、その後、事故調査をきちんとしないばかりか、証拠を隠し、緊急走行中だったという嘘をついていたこと、自分たちの都合の悪い情報が世間に出ないように、裁判で出てくる証拠にプロテクティブオーダー(守秘義務)を設けたこと。本当に、警察はこの事故を反省し、体制を改善する気はないのだということに失望します。 

 亮君を偲ぶと共に、このような事故が繰り返されないことを祈る追悼式になりました。

 また今回の追悼式には、ニュース等で事故のことを知り、「誰にでも起こり得る事故」「他人事ではない」と考え、足を運んでくださるNY在住の日本人の方も何人かいらっしゃいました。今後もこのように考えてくださる方の輪が広がることを祈っています。 

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#NoMoreTragedy