NO MORE TRAGEDY

小山田亮はNYで語学留学中にニューヨーク市警のパトカーに撥ねられて、24歳の若さで命を落としました。遺族は亮の死に関する真実を明らかにするために、ニューヨーク市警とパトカーの運転手を相手に訴訟を起こしています。このブログでは亮の事故に関係する記事を投稿しています。ウェブサイトもご覧ください。http://oyamada.weebly.com/

市民が求める法執行の形

先日、NY TimesにFamily for Safe Streetのメンバーであるダナさんの意見が掲載されました。そのタイトルからは、ダナさんの悔しさと緊迫したメッセージが感じられました。

ビジョンゼロ政策(10年間でNYの交通事故死亡を無くすという目標の政策)を公言し、1月に新たな市長となったデブラシオ市長は、6月にビジョンゼロ政策の為の11の法案に調印しました。

その中のひとつにクーパーズ法(Cooper's Law)という法があります。これはダナさんの息子クーパー君の名にちなんで名付けられた法です。

 

クーパー君(当時9歳)は2014年1月、お父さんと手をつないで横断歩道を青信号で横断中、タクシーに撥ねられ亡くなりました。事故時の映像は、クーパー君を撥ねたタクシーが歩行者に注意せずに運転していた様子を映し出しており、目撃者も運転手の過失を証言をしていました。それにもかかわらず、マンハッタンDA(検事局)はこの運転手を訴追しませんでした。

不起訴の理由は“Rule of Two”という先例が理由でした。このRule of Twoは、運転手に有罪を問う為には、運転手の過失を2つ以上示す事が必要である、とする前例のことで、長く適用されてきました。しかしこれは法律ではありません。

 

クーパー君のご両親は検事局に、クーパー君の事故でRule of Twoに則らない措置をして欲しいと懇願しましたが、聞き入れてもらえませんでした。また、Streetsblogの記事では、2つ以上の過失が見られた場合でも、運転手が起訴されてない実情の報告も見られます。

ダナさんは、この独特の風潮が、確実な調査を行うこと、罪を明らかにする事、そして過失ある運転手を起訴するという法の執行を、妨げていると述べています。

また、CITYLABの記者は、このような運転手に対する法の適用が今まで無かった事に驚きを示しています。

 

 

4月、市議会の公聴会でアリソン・リャオちゃんのご両親はスピーチを行いました。

 

これはイントロ238という新たな法制定を目指すためものでした。イントロ238の説明の記事によれば、このイントロ238は、被害者が交通ルールを守っていたのに対し、加害者に過失がある場合、その過失は罪と見なされるべきではないか、という考えから、その提案に至っています。

 

アリソンちゃんもまた合法な横断中に事故に遭い亡くなっています。警察は事故後の報道で、アリソンちゃんが手をつないでいたおばあちゃんの手を離れ、事故に遭ったと伝えていましたが、映像からはアリソンちゃんとおばあちゃんが交通ルールを守り、横断していた事が分かりました。

4月のスピーチの後、メディアとFamily for Safe StreetやTransportation Alternatives等のメンバーが活動し、このイントロ238法案は7月に議会を通過しました。

 

イントロ238により、交通ルールを守っていた歩行者やサイクリストが遭った事故では、運転手に過失の無い事が証明されるまで、運転手は有罪の可能性が推定され続け、過失が証明された場合は故意でなくとも有罪とされます。

過失の無い事が証明されるまで有罪の可能性が存在する事により、警察は事故の報告の為に事故現場に向かうのでは無く、起訴の可能性を調べる為に事故現場に向かう事になります

これにより運転手は、警察から被害者を事故の前に目撃したかどうかを質問されるのではなく、なぜ被害者を確認しなかったのかを問われる事になり、このイントロ238により、Rule of Twoの適用が終わるだろう、と記事には書かれています。

 

 

記事の中でダナさんは、警察と検事局の変革を成し遂げる必要性を訴えています。

そして、被害者の名のつく法律はもう要らない、必要なのは法執行の責任を維持する事だ、と強く主張しています。さらなる被害者の親に同じ思いを強要するのか、それともこの変革を行うのか、というダナさんの問いかけで記事は終わっています。

 

 

NYでは調印から60日を過ぎ、このイントロ238の適用が始まり、警察の事故調査に対し市民から目が向けられています。調査がなされない時には批判の声があがり、確実に調査が行われた時には賞賛の声があがっているようです。

 

イントロ238のメッセージを運転手が受け取り、運転マナーが変化する事が期待されます。

そのためには、警察と検事が確実に調査を行い、過失に対し厳しく責任を問う形で、車を運転する市民を教育する事が求められます。このような前進が、今まで不公平な扱いを受けた、亡くなった何千もの被害者への正義だと思う、と記事の筆者は述べています。

 

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