NO MORE TRAGEDY

小山田亮はNYで語学留学中にニューヨーク市警のパトカーに撥ねられて、24歳の若さで命を落としました。遺族は亮の死に関する真実を明らかにするために、ニューヨーク市警とパトカーの運転手を相手に訴訟を起こしています。このブログでは亮の事故に関係する記事を投稿しています。ウェブサイトもご覧ください。http://oyamada.weebly.com/

裁判終結のご報告

小山田さんの裁判が和解終結する事が、5月30日に法廷に報告されました。そのことが幾つかのメディアでも書かれました。(記事の下に添付しています)  

 

和解に至った経緯について、ご家族は、緊急走行であったと警官が主張すればその信憑性は問われないという現状、そして警官に広範囲な自由裁量が与えられているこのシステムの中では、多額の裁判費用を被害者側が全て負担しない限り、事故の責任を追求し続けて行く事が不可能だという現実を、受け入れざるを得ないと話しておられました。  

私も、この4年以上の間、ニューヨークにも足を運び、訴訟とご家族の様子を見てきました。 今年上旬もニューヨークでの法廷に同行しましたが、裁判のシステムを前に無念を感じざるを得ない言葉が、裁判官からも聞かされました。今回の決断は、4年以上に渡り、不当に命を奪われた息子・弟のために戦ってきた小山田さんたちにとって、苦渋の決断であったことは言うまでもありません。

 

現地のストリーツブログ紙には、小山田さんが公開した事故調査専門家による報告書の全文が添付されています。記事には、イラルディ警官の走行していたスピード・走行位置が事故の要因である事が、専門家により報告されたという事が書かれています。市警は事故当初の報告で、イラルディ警官が911コールに対応しており、35~39マイルで赤色灯を点灯し走行していたところに、小山田さんが車両の前方に飛び出して来たと主張していましたが、この事故調査専門家の報告書によると、これらの市警の主張が真実ではない、という事が書かれています。

 

 以下記事の抜粋ですー(一部意訳)

報告書には、「両側二車線の40アベニューで、イラルディ警官は、(二車線の)中央を走行していた」と書かれており、その車両の速度と走行していた位置が、小山田さんの事故の原因であったと示されている。イラルディ警官は衝突の前にブレーキを踏んだが、ハンドルを切り東向き車線(正しい車線)に戻る前に、西側車線で 小山田さんを轢いた事を証拠が示している。

 

 彼の足は折れて、頭は酷く損傷していた。彼はまだ息をしていて、生き延びようとしていた 警察はただ被害者を路上に放置し、助けようともしなかった。それは本当に悲しい事だ。と目撃者はWABCに話していた。 

小山田さん家族が起こした訴訟では、市警は目撃者に現場から離れるよう指示し、ビデオ証拠を破棄したと主張されている。(小山田さんの弁護士は市側から提供された監視映像は、事故そのものや事故後を映す部分が編集(削除)されていた、と主張している。) その訴訟ではまた、市警がイラルディ警官の事故時の携帯電話の使用について調べる事を怠り、 イラルディ警官の、過去の運転記録(事故・違反歴)に対しても対処を怠っていたと主張されている。

さらには、無線記録などの証拠がイラルディ警官が脅迫事件に対応し走行していなかった事実を示している、と小山田さんの家族は主張している。 

 

賠償金とは別に、小山田さん家族は、市警に対し、警官が赤色灯を点けていない時の運転ルールへの改善を求めた。またスピードバンプ(減速帯)の設置も求めた。家族は事故に対する包括的な対処を求めていた。しかし市警と市はそれらの要求をひとつとして認めなかった、とヴァッカロ弁護士は話す。 

 

Freedon of Information Law(情報開示制度)を行使して入手した資料によると、任務中の警官により引き起こされる交通事故件数は、市の他の部門による事故より圧倒的に多く、年間3900件である。市警による事故の深刻さは、市や市警からは公表されていない。しかし市の経理部門の年度報告によれば、市警は一貫して、車両事故を含む市警が起こした事故を、市に和解の方向に持って行かせている。小山田亮さんは、市警により引き起こされた事故に巻き込まれ殺害された被害者の一人である。さらなる命が奪われる事の防止を市警や市が優先していない事は明らかである。

 

またゴサミスト紙は、事故調査専門家が出した報告で、イラルディ警官の車は事故直前に時速64.4マイル(100キロ以上)で走行しており、制限速度が時速30マイルの道路を2倍以上の速度で走行していた事に触れています。そしてこのように記事を書いています 。

(以下引用)

 市警は小山田さんが車の走行経路に飛び出したと話していたが、報告書は小山田さんの歩行マナーに異常なものは見られないと示しており、小山田さんが走行中の警察車両の前に飛び出した証拠もどこにも無く、むしろ小山田さんが撥ねられる前に左右に動いた」 とするイラルディ警官の証言からは、小山田さんが向かって来る車両を避けようとしていた事が伺える、と示している。

   

また報告書には、イラルディ警官が制限速度をかなり超えた速度で走行していた事に加え、 中央分離線を越えて走行していたことが書かれている。報告書には、更なる二つの要因が書かれているようだが、その部分は(守秘義務に関わる部分があるため)伏せられており、Freedon of Information Law(情報開示制度)を使っても(関係者以外には)入手は不可能である。この四つの要因が組み合わされば、警察車両の進行方向にいた人全てが命を落としかねない危険な走行だったということが示唆される。

また、赤色灯やサイレンが点灯されていれば、小山田さんは、普通とは異なる走行して向かってくる車両を認識することができ、事故に巻き込まれることも避けられたのではないか、と報告されている。

 

 小山田さんは、「もし無謀な運転で居住区の道路を走行し、他者を死に至らしめれば、緊急走行であっても許されない、という事をイラルディ警官が認識していれば、亮が命を落とす事はなかったと思います。そして、ニューヨークでは法の力をもってしても、 警察から公平に証拠を得る事ができず、権力を持つ警察組織が起こす事件によって人の命が奪われても、業務の為に不可欠な犠牲のように扱われ続けている。この現状は、問題のあるものだと思います。力の有る側には広範囲な特権が与えられ、その特権が他者の命を守るものを蝕んでいる。その権力のバランスの現状を市民が知る事が改善への一歩であると思い、今回の報告書を黒塗りを入れてでも(守秘義務にかかる箇所を非公開にしてでも)公開する事がひとつのメッセージになる事を願いました。」と話していました。 

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Memorial for Ryo

2月21日、亮くんの事故から4年が経ちました。

ニューヨークでは現地の方の呼びかけで集まった方々が、事故現場でキャンドルを灯し、メモリアルを行いました。(動画は参加した方から頂いたものです。)

m.youtube.com


 亮くんの故郷で命日を迎えられたご両親のもとには、亮くんの友人が訪ねて来てくれたそうです。事故が起きた時刻に皆で黙祷を捧げ亮くんを偲びました。

 

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志半ばで人生を絶たれた亮くんのこれまでの人生を想う日、残された者としてどう生きるか考える日、同じ悲劇を繰り返さないように何ができるのか考える日。

この日、それぞれの場所でそれぞれの祈りと想いがありました。

 

 

亮くんの死から3年半 -現在の家族の心境

今日、8月21日で亮君が亡くなって3年半になります。

亮くんの家族・友人は、亮君のいない日々を3年半過ごしてきました。

そして家族がNYで訴訟を初めてからそれだけの月日が経ったということになります。

亮くんのお姉さんに聞いた、今の状況や心境について少しご紹介したいと思います。

 

ーーーーー

 
3年以上訴訟を続け、最初は警察に腹を立て、動かない検察に腹を立て、家族の味方であるはずの弁護士とぶつかり、問題あるシステム(法律や警察・司法の在り方など)にも腹を立て、今に至ります。システム全体が警察の責任を問わないようにできているのを感じ、このシステムの中で裁判をしても真実を知ることができないかもしれないと感じる事があります。
 
  
弟の事故では警察内部の部署が捜査をしましたが、市警内の証拠の有無を確かめる力を持つ外部機関は不在でした。
例え警察が証拠を収集せず、真実が分からないようにしても、検察はそれを容認し、法廷でも失われた証拠に対するおかしさを問うことはできず、誰も責任を負いません。調査、証拠収集を怠ってもそれを裁く法がありません。
 

裁判を起こす前も、警察に対し真実を求めても無駄だという意見も多く聞きましたが、何も訴えずに現地の弁護士や法廷に失望する事もおかしいように感じ、裁判を続けてきました。

 
裁判を通し現状に接し、これは検察や弁護士や法廷がどうかという問題だけでなく、もっと大きな構造の問題だと感じています。この構造の背後には強い警察を必要とする大きな力が関係しているとも聞きます。
 
 
裁判の周辺の状況は、良くありません。けれど失望したくないと思うのには、裁判を通し街の中で活動を続ける人と繋がり、力をもらったことが影響しています。他国のシステムに口出ししても仕方ないように感じたこともありましたが、街の中の人と繋がる中で、私達と同じような声を聞き、支えられてきました。

 

人権の活動の場に参加した時に、ある人が「すぐに何か変える事は難しいとしても、エスカレートする事を食い止める事はできるかもしれない。それに拒否の姿勢を見せることは市民の機能だと思う。」と話していた事が強く記憶に残っています。

 
 
 この裁判を通し直接何かを変化させることは難しいかもしれないけれど、どこかで暴走を抑止するきっかけにはなるかもしれない、と思います。
 
 
真実を求める事が無駄な努力なのかどうかは、私には測れません。連邦裁判所の判事にできるかぎりそれを投げてみないと判断できない事だと感じています。
 ニューヨークは好きな街だし、良くなるという風に思いたいと、人と接する度に思います。警察の力は大きく、警察の問題は社会構造と関係しており、一つの訴訟で大きく何かを変えられる事は難しいと思いますが、個々の裁判が同じ目的に繋がっている事を感じています。
 
今できる事はできる限り真実を求める事だけだと思っています。
 
 
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ご家族は3年半経った今も、葛藤しながら裁判に向き合っています。
私たちにできることは少ないかもしれません。でも亮くんの事故を風化させないことが、警察の暴走を食い止める力になるのかもしれません。
 

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改善なく容認され続ける警察のあり方③

前回前々回の投稿では、警察による死亡事故の実例、そしてその件数が過去15年間減ることがなく繰り返されている原因を探りました。

 

日本に住んでいると、遠い国のことのように感じられるかもしれませんが、小山田亮君のご家族にとっては決してそうではありません。

今年4月に亮君のご家族はブルックリンの法廷で、新人警官に撃たれ亡くなったアカイ・ガーリーさんの事件の判決を聞くため、裁判所に行ったそうです。そこで他の被害者家族と活動をしている人に会い、人々が切実な思いを持っている事を改めて感じたといいます。(判決では、アカイ・ガーリーさんを撃った警官には5年間の保護観察と800時間の社会奉仕が言い渡されました。)

そこで活動をしている人がこう話していたそうです。
「もし自分の国で権力が暴走しあなたやあなたの友人の人権を脅かすような事があれば、Noを示す事は市民の機能だと私は思う。それをしないで大変な事になってきた歴史を私達は知っているから。あなたの国で、もしそういう事があればあなた達もそうするでしょう?」

また亮君のご両親に裁判の現状について質問した際にはこんな言葉が返ってきました。

「どこの国にも問題があり、不完全です。そしてどこの国にも良くしようと思って努力している人がいます。他の国の人も私達も皆、その過程にいるという事だと思っています。」

亮君の事故現場にペイントされた言葉が、one for allという言葉だったのを思い出しました。亮君の裁判とともに様々な現状を見る時、私自身も一市民として一日本人として何ができるのか、考えさせられます。

 

過去15年間、警察に殺された人の数は減少していません。それでも、私たちはあきらめずに声を出し続けていかなければならないのでしょう。10年後、20年後にこの現状が改善されていることを信じて。これからは、小山田亮君、アカイ・ガーリーさんのような若者の将来が奪われないように。

短く書く努力をしましたが力不足で、3回に渡る長い記事になってしいました。最後までお読み頂いた事に感謝致します。皆さん良い夏休みをお過ごしください。

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改善なく容認され続ける警察のあり方②

前回の投稿では、警察により起こされる死亡事故の実例を詳しく書きました。

それでは、どうして多くの抗議活動が起こっているにも関わらず、警察が起こす死亡事故は容認され続けているのでしょうか。

 

まず一つには、2001年に起きた9•11以降、強い警察が求められ、警察の業務を重要視する傾向が強まったとこが挙げられます。

前回もお伝えしたDaily Newsの記事で、警察官慈善団体の代表であるリンチ氏が「路上で誰かが生きるか死ぬかの事件が起きた場合、警察は、一般市民が巻き込まれないように、一歩踏み出した行動をすることがあり、実際にこの行動で今までに何万人という人命が守られている」と話しています。

また、リンチ氏は「過去15年間で(9.11の後遺症で亡くなった警官を含め)80名の警官が殉職しているというのも事実である」ということも指摘しています。

 

しかし、市民への監視やストップ&フリスクなどにおける警察権力の過度な行使が度々問題視されてきてもいます。(ストップ&フリスクに関する記事はこちら)2013年8月にはストップ&フリスクは違憲であるとして、連邦裁判所は業務の是正を命じましたが、今も変化が見られないようです。

 

次の要因には、起訴する側である検察と、起訴される側である警察の関係が挙げられます。前回お伝えした、警察が捜査していた事件の容疑者と間違えられ、変装した警官に理由を告げられることなく撃たれて死亡したオスマン・ゾンゴさんの事件では、完全に警察に非があったにも関わらず、警察に懲役が言い渡されることはありませんでした。

 

刑務所改造計画プロジェクトを取り仕切るロベルト・ギャンギ氏は、警察を起訴する側である検察と警察の関係について以下のように指摘しています。


「警察の事件を起訴するのは地区検察の仕事であるが、両者の業務というのは大変密なもので、警察と検察は互いを必要としあう関係だ。そこには利害関係がある。」

たとえば、亮君の事故では、市警の事故調査部(交通事故調査を行う部門)と内部調査部(警察内で起きた事件を調査する部門)の2つの部署が調査を行いました。クイーンズの地区検察は過失致死罪の可能性で動いていましたが、結局は起訴を行いませんでした。そのためご家族は、民事裁判を通し証拠の請求を続けています。

 

地区検察と警察が親密に業務を行っており、検察が警察を客観的に捜査できないため、地区と州の議員は現在、警察による致死事件の全件に対し調査を行える特別検察の設置を呼びかけている」とのいうのが、現在の状況のようです。

 

しかし、全ての警官がこの状況に安心し、必要以上に暴力を行使しているのかと言えば、もちろんそうではありません。

前述の記事には、自分の指示で精神疾患を持つ一般市民を射殺するに至り、その事件の8日後に自殺した警官についても書かれていました。その警官は自殺する当日、同僚に「今日自分は誰かを撃ち、殺し、そして仕事も年金も失って、明日は新聞の紙面を飾るだろう。」と話していたそうです。

人を殺すという行為は、殺される人だけでなく、殺す人の人生も変えるのです。人を殺めてしまった警官の中には、一生自分のしたことに悩まされ、後悔し、時には精神を蝕まれてしまうこともあるようです。

 

また、警察が市民の敵となっている状況に疑問を持ち、警察組織の内部から改善を求め裁判を起こしている警官達もいます。(A Black Police Officer's Fight Against the N.Y.P.D )


この訴訟の訴えている事からは、警官に対し逮捕(又は召喚)の件数を上げるよう上司から圧力がかけられる実態がある事が分かります。訴訟の原告は、警察組織の業務が、ノルマを禁止する法と、人種差別を禁じる合衆国憲法修正14条に違反している、と訴えています。
組織内にも、課せられる業務に疑問を感じ、改善された方が良いと感じつつも、自分の生活を守る為に、葛藤を抱えながら業務をしている警官がいる事もまた事実です。(この訴訟について語っている警官は黒人で、とても貧しい家に生まれたそうです。マイノリティー人種の警官は、警察のユニフォームを着ているときは警官として市民に嫌われ、ユニフォームを脱げばマイノリティーとして差別される、というとても複雑な心境だということが窺えます。)


Black Lives Matter運動(黒人の人達の命も白人同様に尊重しようという運動)も継続して行われており、ニューヨーク市庁舎周辺では今月の初めから市警コミッショナーの解任や警察の業務改善などを求め、座り込みの活動が続いています。

New York City protesters demand police commissioner Bill Bratton be fired | US news | The Guardian 

(*先週警察長官であるブラトン氏の辞任の意向が報道されました。理由は座り込みの抗議とは無関係であるとされています。)

座り込みに参加していた人はこう話していました。(原文
「人の命を奪うような権力を行使する事に、状況の改善があるとは思えない。その資金が警察や刑務所にではなく、住宅や仕事の問題などに使われるべき。」 
「不正で人種差別的な警察組織に55億ドルを投入するより、コミュニティにその資金を投入するべき。」
「警官が(人を殺めている)責任を負わされていない。だから私はここに来ている。」

 

「システムだから仕方無い」と言う人もいる中、警察の内部、市や州の議員、メディア、個人や団体の裁判、様々な所から警察組織に対し情報公開や業務改善を求め、法を公平に機能させようとあらゆる方向から活動が続いている事がわかります。

 

警官の業務の質が問題となり、コミュニティと警察の間に亀裂が深まっており、それは生産性の無いもののように思われます。
指示に従いつつ罪悪感を感じる人も、その被害に遭う人も、どちらもこのシステムの被害者であるのではないでしょうか。

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 次回の投稿では、小山田亮君の家族が向き合っているこの警察の現状との闘いについて書きたいと思います。

改善なく容認され続ける警察のあり方①

日本でも、アメリカで起きている警察が黒人を撃つ事件がたびたび報道されるようになりました。抗議しても抗議しても、同様の事件が起こり続け、人々の怒りはピークに達し、警察を撃つ人まで現れてしまうという現状です。

 

私も先日、会話の中で友人と「何で警官はこんなに簡単に人を撃つのか」という話になりました。


全ての警官がそういうわけではないでしょう。けれど、キレやすい警官や、すぐ撃つ判断をする警察がいるらしい事や、警官をいらつかせた事で被害者が死に至ったように見受けられる事件は確かにあります。

 

色々な記事を読むと、事件の責任や原因は追求されたり改善に活かされたりせず、その状況が継続されているとわかります。

 

この状況について、3回の記事に分けて書いていきたいと思います。

最初のこの記事ではいくつかの事例を紹介していきます。

 

まず、2014年に出されたこの記事のタイトルを見てください。

m.nydailynews.com

タイトルには、過去15年間で、ニューヨーク市内で任務中の警官の手により命を落とした人は179人、そのうちわずか3件のみが起訴され、有罪が(州裁判所で)認められたケースは1件のみ(懲役無し)”」とあります。

(※この数字はNY市内のみの数字で、アメリカ国内全体では今年だけで600人以上の人が亡くなっています。 The Counted: tracking people killed by police in the United States | US News | The Guardian



この記事の分析は1999年のアマドゥ・ディアロさん(レイプ加害者だと警察に取り間違えられ、財布を出そうとした際に警察に41発発砲され死亡)の事件から2014年アカイ・ガーリーさん(新人警官の誤射により死亡)の事件までの間に行われています。これによれば、被害者の86%が黒人又はヒスパニック系の人でした。

 

ーー記事よりーー

勤務中の警官の手により亡くなった人の4分の1(約27%)が武器を所持しておらず、さらにその中には冤罪であったり事件を傍観していただけの人も含まれていた。また、20%がなんらかの精神疾患を持つ人であった。

*この統計は、勤務外の警官による事件や警官の行動から間接的に死亡した事件は含まれておらず、勤務時間外の警官が起こした死亡事件数は43件、そのうち10件に有罪判決が出ているという。(下図参照)

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図からわかるように、NY市だけで毎年10人以上の人が警察により命を奪われています。それでは具体的な事例を見ていきたいと思います。

 

1994年ブロンクスで、アンソニー・バエズさんが死亡した事件

バエズさんは兄弟とフットボールで遊んでいた際、ボールが警察車両に当たったことから警官と口論となり、フランク・リボティ警官に後ろから首を絞められ(チョークホールド)、死亡しました。
ブロンクスの大陪審で警官を起訴する事が決定されましたが、その後判事が無罪としました。しかし、1998年に連邦法人権侵害で警官は有罪とされ、7年服役しました。
(※大陪審で起訴が決定された後、裁判でリボティ警官が陪審員による裁判で無く、判事による裁判を選択し、州裁判所の判事は罪を退けた。その後、抗議運動がおこり、連邦検察が連邦法における人権侵害で調査を開始、連邦裁判所では有罪となった。)

 ーこの事件は、連邦裁判所が警察に懲役を科した最後の事件となっていて、以降20年以上警察が人を殺めて刑務所に入るという事例は起きていません。

 

1999年ブロンクスでのアマドウ・ディアロさんの事件

警官にレイプ加害者であると誤認されたディアロさんは、手を上げるよう命じられた後に財布を出そうとしたため、撃たれたとされています。警官らは41発の銃弾を放っていました。ブロンクスの大陪審は警官を起訴することを決めましたが、裁判で警官は無罪となりました。

(※大陪審:市民から選ばれた陪審員が、起訴を行うかどうかを決定するもの。地区検察が事件を調査し起訴すると判断した後、大陪審で起訴が妥当かどうかが決められる。)

ーこの事件をきっかけに大規模な抗議運動が起こり、新たな警官のトレーニングが導入され、撃つかどうかの判断に被疑者の人種がどのように影響しているかの研究が数多くなされました。

 2003年マンハッタンでのオスマン・ゾンゴさんの事件

倉庫で働いていたゾンゴさんは、郵便配達員を装い倉庫を訪れた警官に撃たれて亡くなっています。ゾンゴさんは(警察が当時捜査していた)偽造品販売に全く関係していなかったのに、それを検証されることもなく、撃たれ亡くなりました。この事件後、州裁判所の判事が保護観察5年と500時間の社会奉仕を警官に命じましたが、服役は言い渡されませんでした。

ーこの事件から、被告人が警察の場合、検察が裁判で要求する刑が軽いものになっているということが窺えます。

 

2009年ブルックリンで、シェム・ウォーカーさんが撃たれた事件

祖母の家の前で私服警官と乱闘なったウォーカーさんは、相手が警官である事を知らず、警官に手を出したことにより、撃たれ死亡しました。(手を出したとするのは警察の主張。)
元ブルックリン検察のチャールズ・ハイネ氏は、この事件をどのように起訴するか熟慮しているという説明をウォーカーさんの家族にし続け、対応を4年以上も先延ばしにしました。その後、担当検事が交代しましたが、後任検事は「起訴しない」という判断を下しました。家族の弁護人によると、4年以上も月日が流れ、後任検事にはそのような選択肢しか残されていなかったそうです。

ーこの事件からは、いかに問題がある事件でも、検察が正しく対応せず、起訴にも及ばないことがあるという事がわかります。


2014年スタテンアイランドでのエリック・ガーナーさんの事件
エリック・ガーナーさんは路上で違法にタバコを売っていたところを警察に注意され、押し問答となり、タバコは売っていないと主張したところ、警察が絞め技(チョークホールド)でガーナーさんを抑えつけ、その結果呼吸ができなくなり死亡しました。4人の警察に抑えつけられたガーナーさんは「息ができない」と何度も繰り返していたのにも関わらず、警察が手を緩めず亡くなりました。

この事件では完全に状況を映す映像があったにも関わらず、大陪審で不起訴が決定され、警察の責任は問われませんでした。

また映像を録画した人が(軽犯罪の容疑で)逮捕されました。現場が封鎖された状況で、公平な調査が行われず、死亡した被害者に罪を着せるような事が起きるのであれば、映像を撮り公開する事でしか真実は証明されないし、問題は公にならないであろうというにも関わらず、その声をかき消すように警察は動いたのです。

 

ーこの警察が不起訴になったという失望から大きな抗議運動があり、その抗議運動は全米へと広がりました。Black Lieves Matterという言葉が頻繁に使われ出したきっかけとなった事件です。

また同時に、軽犯罪を犯した人であれば、いくら警察が不適切な対応を取っていたという証拠ビデオがあっても警察の罪は問われないという前例が出てしまったという意味では、今後の警察事件に対して大きな影響を与えてしまった事件とも言えるでしょう。

この事件後、市民の警察に対する不信感はさらに強まることになります。

 


この過去15年の事例をみると、法の手順が踏まれているように見えますが、179件のうち州裁判所で有罪とされたのはたった1件で、起訴されたのは3件のみであるという結果からは、公正に調査されて裁かれてきたのかどうか疑問が残ります。


以下の記事には、警察改造プロジェクトが出した報告について書かれています。警察改造プロジェクトは今年3月から6月まで警察により召喚や逮捕された人に対し行われる刑事裁判所での罪状認否を傍聴し、その結果を報告しています。

Arrested For Picking A Flower, And Other Broken Windows Policing Horror Stories: Gothamist

 

傍聴された審理の89%が黒人とヒスパニック系の人に対する審理であり、そこには万引きなどの罪も含まれてはいたものの、公園の時間外使用、無許可の路上販売など、従来は刑事裁判所に出頭する必要の無いものも含まれていました。中には、公園の花を摘んだ事で召喚された人もいました。

この結果からは黒人やヒスパニック系の人がいかに簡単に何かの容疑者にされ、起訴されているかということが分かります。

記事には以下の点も書かれていました。

ー裁判所に出頭してきた人の中には無実であっても罪を受け入れられるように仕向けられている圧力を感じている人もいた。そうしなければ、犯罪履歴として残るような判定が下る可能性があるからである。
ー去年だけで法廷は315000件を扱っており、(一日850件程)1件の罪状認否が1分35秒程のペースで行われ、最も短いものは13秒だった。

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 この記事では、警察による死亡事故の具体的な事例と警察の行動にいかに人種差別の要素が含まれているのかについて書きました。

次回の記事では何故このような警察による横暴が起きているのか、そして何故それが容認され続けているのかについて書きたいと思います。

NY市警が起こした死亡事故のその後

お久しぶりです。

熊本地震から一か月が経過しました。初めに、被災された皆さまには心からお見舞い申し上げます。一日も早く余震が治まり、被災者の方々が安心して眠られる日常が戻りますように。

 

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小山田亮君がNY市警に撥ねられて亡くなったのは2013年2月ですが、そのわずか5か月後に、警察が歩行者を撥ね死亡させる事故を起こしていたのを覚えていらっしゃるでしょうか。(ニューヨーク市警、またも歩行者をひき殺す - NO MORE TRAGEDY

 

この事故で亡くなったのは当時61歳のFelix Cossさん、公立学校で教鞭をとる、スペイン語の先生でした。事故当時、Cossさんは青信号で交差点を横断中で、同じ青信号で左折してきた警察車両に轢かれて亡くなりました。運転していた警官は、携帯電話を使用していたとの目撃証言がありました。(もちろん、緊急走行中ではありませんでした。)

この事故は、その後の経過をメディアで目にすることはありませんでした。

Cossさんが青信号で交差点を横断していたこと、運転手が携帯電話を使用していたという落ち度があることから、私は、おそらく警察が落ち度を認めすぐに和解となったのだろうと思っていました。

 

ところが先月、遺族が裁判で係争中であるということが報道されました。

gothamist.com

 

タイトルは「NY市、死亡した歩行者に落ち度があったと主張。警察車両が交差点で起こした事故において。」

どういう事なんでしょうか。

担当弁護士によると、なんと警察は「歩行者は(交差点を横断するという)危険な行為に参加しているという自覚を持つべきであった」と主張しているそうです。

 

え??????

 

つまり、警察は歩行者が「安全確認を怠った」から起きた事故だと主張しているのです。

 

さらに、警察は目撃証言などの証拠を提出していないそうです。

また、事故を起こした警官は、事故後何の処分も受けていません。

 

全く理解に苦しみます。交通弱者である歩行者が安全確認を怠ったから事故が起き、携帯を使用しながら車両を運転していた警官に落ち度はなく、何の処分も受ける必要がないということでしょうか。

 

横断歩道を青信号で横断していただけの歩行者に責任があるなんて、そんな屁理屈が通って良いのでしょうか。警察側に都合の悪い証拠は提出せず、亡くなった方に責任を負わせようとする、これがNY警察の体質でしょうか。

警察にとって、市民の命より、警察の体制を維持することのほうが大切なのでしょうか。本来、市民の安全を守るための警察では・・・?

 

Cossさんのご家族は、悔しい思いをされているに違いありません。

亡くなったCossさんのためにも、ご家族のためにも、裁判所が正しい判決を下してくれることを願います。

 

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